『意識と本質』をよむ

「意識と本質」 
          井筒俊彦

スーフィズム、禅、中観、唯識真言密教老荘思想ウパニシャッドシャーマニズム神秘主義カバラギリシャ哲学、ユング心理学、詩、文学、芸術、、、。

これらの広大な、主に東洋における思想の専門用語が縦横無尽に列挙されたこの本を

10年前から折にふれて読み続けている。

言葉使いはとても現代的でわかりやすいのであるが、

広範な宗教、哲学に対するある程度深い知識が必要で、

一つ一つを理解しながらスムーズに読み進めることなど到底できなかったし、

ちょっとつまずいた小石のように見えたものが、

よくよく見てみると、巨大な歴史的記念碑の側端だったことが判明し、

理解するよりも頭がフリーズしてしまうことのほうが多かったように思う。

ときには、当時つきあっていた女性にゴミ箱に捨てられたこともあった。

それでも、理解できない文章と文章の狭間から断片的に覗き見た

あの向こう側の世界は

私を強い羨望と不安うごめく竜巻の真っ只中に引きずり込み

私の前途を盲目にする壁となり、また揺さぶり続ける原動力でありつづけた。

 


なんとか燃えるゴミの日の前にゴミ箱から救出し、本棚に飾り、

眺め、また手に取り、少し読み、寝かし、熟成させ、

また少し読んでみる。

寝る前にちょっと読み、寝起きに読み、お茶をこぼし、

投げ捨て、忘れ、また拾い、持ち歩いてみる。

カフェで読み、トイレで読み、電車で読んだ。


いつの間にかカバーも外れてしまったこの岩波文庫版の小冊子を、

最近、久しぶりに手に取り、最初の数ページを読んだとき、光があった。

著者が言わんすることが、なんとなくわかるようになっていた。

専門用語が、引用文献が、遠い異国の言葉ではなくなっていた。

なるほどね。そういうことか。ふむふむ。ほう。むむむ。

もちろん、これはようやくこの書物の入口に立てたということであって、

此岸から遠くにぼんやりした彼岸の凹凸が見えたに過ぎないことは分かっている。

なので、これから、ゆっくりじっくり読み解いてゆくために、

この簡易ではあるがなかなか使い勝手の良いボート(ブログという)を着水させ、

まずは一回漕ぎ始めてみようと思う。


大丈夫、もう真夜中ではない。

暗闇の中に薄く、ぼんやりと、ものの輪郭が浮かび上がり始めている。

夜明けはもうすぐそこまで来ている。

舳先を注意深く調整しながら、ひと漕ぎひと漕ぎ確実に漕いでゆこう。

漕いだ分だけ前に進めればいいのだけれど。